こんにちは、もんにちは。

モンゴルの政府の政策は長期継続性に欠けており、それが原因で大規模プロジェクト等が進まないのだ!と批判ばかりしている私ですが、今回は若干視点を変えてのコラムを書きたいと思います。

長期計画性ゼロの人間と自負しているぞりごです。

二日ほど前に、内閣官房長官のオユンエルデネ氏がハーバードやオクスフォード大学などの国際的名門大学出身の比較的若手「顧問」を15名で任命し、「25年計画」たるものを策定する方針を語りました。

「この25年間を一括し、次の25年間を計画せねばならない」と述べ、「我々が、今後の25年間において要望リストではなく、現実的な開発を目指す行動計画を策定していきたい」と意気込みを語ったそうですが。。。

どうもずれているんですよね。この顧問に入っている中、知人も数人いますし、彼ら個人、一人ひとりの能力は高いことは私は疑っていません。

但し、全体としての主義・主張に問題が存在するかのように思えます。モンゴルは果たして、どこに向かって行っているのか?と言う危機感さえ覚えられる発言だと個人的に思うのです。

1990年以降、モンゴル国の国策について567もの長中期政策たるものが策定されて来たそうですが、実現性が乏しく、お互いに連携が取れていなかったり、十分な研究や調査、分析に基づいていなかったりと言ったものが殆どであると言う批判から彼の発言が始まったそうです。この部分に関しては、私も共感するものがあります。

が、しかし、25年計画?計画経済に逆戻りを意味するのでしょうか?それも、いまやかつて存在したことのない、25年と言う長期なものとして?と耳を疑いたくなりました。

確かに、計画経済は短期的に成功した例はたくさんあります。大恐慌時代のソ連の五ヵ年計画が恐慌の影響を受けずに、1950年代、1960年代までは成功した例、ナチス・ドイツの四カ年計画、第二次四カ年計画など、第一次世界大戦で敗北した国を再建した例、満州国の産業開発五ヵ年計画など短期間で産業基盤の強化につながった例、韓国、マレーシアの独裁主義の元での五カ年計画など例を挙げられます。

自由経済、市場経済の欠如についての批判もある中、計画経済と市場経済のハイブリッド(中国など)な政策が、完全自由な市場経済より上手くいくケースもあるかと思います。以前、鉄道プロジェクトに関わっている時、中国の某大手建設会社の幹部から「あなたの国が完全な民主主義である以上、このような大規模なプロジェクトが完遂するわけがなかろうが」と嘲笑いされたことも記憶に新しいです。

但し、日々加速し、不確実性がさらに増して来ている現在の経済環境の中で、「要望リストや、方針だけでなく、どこで、誰が、いつ、どのように行動するかが明確な計画」はいったいどの程度実現性があるのでしょうか?

短期的な計画であれば、これは非常によいステートメントだと思うのです。私が思うのは、「長期的なビジョン、中期的な目標、短期的な計画」が物事が進む上でもっとも重要です。いつも話題に出てくる「鉄道計画」に関しても、俯瞰図的な意図と目的は明白だし、国の競争力を上げ、付加価値を製造する意味では素晴らしいものでしたが、何が欠如したかと言うと、その実現性、実効性だったと思うのです。いきなり100億米ドルもの資金調達するのは難しい中、段階的に、部分的に建設して行き、最終的に目標やビジョンにあったものを作っていればよかったと思うのです。それを、イデオロギーだけにとらわれ、手段と手法の実現可能性を無視したせいでい、長い間最重要なプロジェクトが行き詰ってしまったと感じるのです。

そして、私が思うのは、政府として出来る最善なことは、民間企業の邪魔をしないこと、政策の持続性を維持することだと思います。政府がしゃしゃり出ると無駄な政治的リスクにさらされるだけでなく、腐敗や汚職につながる構図となってしまいがちではないでしょうか。その証拠の一つとしても、中小企業支援基金などの存在が挙げられるかと思います。

先日、フィンテック会社の社長と会話する機会がありました。「伝統的な金融システムの崩壊、または変貌が目に見えて起こりそうな今現在、我々はより自由な発想で、タイムリーに、流動的に、建設的に物事を作って行かねば、時代に取り残されてしまいます」と言っていたのが印象に残っています。民間企業がより自由で、より動的なものを求める一方で、国策や、国の方針を決める政治家が、より計画主義的な、より社会主義的な、より静的な方針を敢えて掲げることに違和感を感じずにいられないからです。

今回の25年間計画だけではありません。前回のコラムにも書いたように、私的財産への侵略など、投資家権利への侵害、有罪判決が下されるまで推定無罪であると言った原理を無視する態度、司法を軽んじる姿勢など、この国は一体どこへ向かおうとしているのか?と言う問いを今後もして行きたいと思います。

どうして、優秀な若者ほど共産主義的な思想になりがちなのか?などと疑問を抱きながら、今後もモンゴルの民主主義の原理が損なわれないことを祈り、今回のコラムを終わらしたいと思います。

もんじゃ、次回まで