こんにちは、もんにちは。

ゾリゴです。

今日はインスタグラムの話、ではありません。出来れば、インスタ映えする料理の写真の撮り方の話がしたかったのですが、どうもそうもいけないようです。

私は法律家ではありません。政治は最も不得意分野であり、出来れば関わりたくもないし、語りたくもありません。

そんな私でさえ、「え?これは遺憾だろ?」と耳を疑いたくなる出来事が連日起きてしまっているのは最近のモンゴルの現状です。

前にもコラムに書いた通り、私は以前、通称「鉄道事件」と言われるもので容疑者扱いされたことがあります。

その時、最も痛感したのは、裁判官の中立性がどんなに重要かということでした。原告側も存在しない事件を「モンゴル国の国益に反する重罪」として検察官側がでっち上げ、永きに渡り取り調べ、証拠不十分なのにも関わらず裁判所までその事件が持込まれました。裁判所では証拠不十分であるため有罪判決できないとなったにも関わらず、検察側から再審に再び持込み、再審でも同じ結果が出ました。その後、約3年間の取調べが行われた結果、昨年12月に最高裁に再度持込まれ、やっと鉄道事件の事件性の有無に決着がつきました。

この鉄道事件には現大統領バトトルガが関わっているとされ、取調べを受けていたのは記憶に新しいです。

当時、少なくともモンゴルの裁判所は中立な立場を保ち、公正な判決を下すことに感謝しても仕切れませんでした。

そんな中、最近、政治は不穏な動きを見せつつあるのは黙ってみていられないと感じたため、ここでも書いて置くことにします。

3月21日に法務大臣のニャムドルジ氏が1998年のサンジャースレン・ゾリグの殺害に関する取調べにおいて拷問があったこと、裁判の判決は不公正なものだったこと、無罪の人を有罪判決したことを公にしました。

それを受け、3月25日に国家安全保障会議より大統領宛に緊急指令が送られ、3月26日にバトトルガ大統領より臨時国会の追加議案として急きょ、「判事の法的地位に関する法律、検察法、汚職対策法の一部を修正する法案」が提出され、3月27日に国会で議決されました。

実に「インスタ(即席)立案・議決」とも「エクスプレス立案・議決」ともいえる議決でした。

一見、人権を重視し、検察官や裁判官に責任を持たせる法案のように見えますが、その議決までの過程があまりにも非民主的かつ幼児的なことは言うまでもありません。

まず、問題のすり替えが目にあまります。裁判官は検察官や弁護士の弁明を下に尋問する側であり、拷問する側ではありません。容疑者の取調べ過程において拷問等があったならば、それを正す工程が最も重要であり、裁判官等の仕事の妨げになるような法律を議決することが先決ではないように思えます。そして、既に刑法及び刑事法に拷問等に関する処罰が明確に記載されているにも関わらず、裁判官の独立性を問題視するのはとんだ勘違いと言えるでしょう。

そして、一般的には法案が策定されてから通称パブリックコメント等を募集し、法律改正・立法等がもたらす効果を評価するものです。にも関わらず、今回はスピード結婚ならず、スピード議決となってしまいました。有識者の意見はどこにいったか、法改正がもたらす効果をどのように評価したのかなど質問が山済みです。

そして、国会議員たちの怠惰も目立ちます。モンゴル国人権委員会より国会に過去に17回にわたる尋問時の拷問等人権侵害レポートが提出されて来たにも関わらず、国会議員たちはそのようなレポートに目を通しておらず、事の重要性を軽視して来たということになります。なのに、27日の国会では、今回の拷問を監視カメラで録画したビデオを見、感情的に法律を議決しました。拷問ビデオ等は、法律を議決するための題材として使われるべきものではありません。拷問等があったならば、検察官等を裁判所で裁くための証拠でしかないのです。法律は、感情的に決めるべきものではなく、それがもたらす効果を慎重に評価した上で決めることだと、法律家ではない私でさえわかることです。

今回の法律は、立法、司法、行政の三権分立の原理から遠ざかる、権利集中に偏ったものとなりました。モンゴル国憲法49条では、司法権の独立性について明確に記載しています。憲法49条の2に「大統領、総理大臣、国会議員、政党及びその他いかなる者でも、裁判官の裁判義務に介入してはならない」となっているにも関わらず、今回の法律では大統領と総理大臣と国会議長からなる主体である国家安全保障会議が直に裁判官を停職に追い込むことが出来てしまうのであります。

法改正が27日に議決されてから、28日には裁判長官や検察長官ら司法長官が辞任・解任されました。解任された検察長官エンフアムガラン氏は、中小企業基金問題を強く問題視する方で、昨年11月に国会議員の免責特権についても疑問視する方でしたので、政治的なキナ臭さが残るばかりです。真の目論見は責任回避なのではないか?と疑わざるを得ません。

今回の法改正に対して有識者や法律家は強く反対しています。
「モンゴル国憲法よ、安らかに眠れ」や「モンゴル国憲法 1992-2019」などの社会スローガンもソーシャル・ネットワークにてよく見られ、アムネスティ・インターナショナルなどの国際人権団体は今回の法改正により、よりいっそう人権侵害が横行するのではないとの懸念を発表しています。今後、憲法改正や刑法改正、刑事法改正、行政裁判法改正など多くの重要な法改正が予定される中、無能な国会議員たちが怠惰な姿勢で重要な法律を改正するのではないかという懸念も残ります。

どんな法律でも、憲法に則ったものでないといけません。今回の法改正はその原理に背いたものとなっているため、今後は憲法裁判所にてこの法改正の違憲性が持込まれるものと考えられます。モンゴル国の憲法国家としての、民主国家としての運命もその判断にゆだねられています。

モンゴルの民主主義に揺るぎないことを祈ります。

今回は、自分の疎い分野である法律と政治について書きましたが、次回は同日議決された租税改正法について触れたいと思います。

少なくとも、本日の話題よりは明るい話題になりましょう。

もんじゃ、次回まで。