2019年1月28日、国会議員オユンエルデネが主役を演じた政治がようやく結果を出し、国会で「国会議長解任に関する決議案」が可決された。争いの発端は、2017年の大統領選挙といえなくとも2018年の6月から始まった「600憶トゥグルク」の収賄問題を理由に議長の辞任を求める政治から始まっています。例の600憶トゥグルグの収賄問題とうのは、官僚職を売買する値段付き制度について話し合われる会議の録画に元議長エンフボルドの声が入っているという騒動です。後に巻き起こった中小企業促進基金騒動にみられるように、600憶というのが汚職の実態をはるかに縮小した金額ですが、2017年の大統領選挙の結果をはじめ、今回の解任に至るまで政界の動向に大きな影響を及ぼしました。コンテンツとそれを駆使した政治的㏚の力です。

「国会議長解任に関する決議案」を通すために、国会議長を国会の単純過半数票によって解任できる法律まで新しくできました。その法律による議長の解任までの与党内対立は、フレルスフ首相の不信任案審議、2回にわたる中央広場でのデモ、ゲル20つを立てた座り込みまで展開しました。

議長派は、中小企業促進基金に関する騒動を生かしてフレルスフ派の不当を訴え、不信任案を提出しました。中小企業促進騒動に関してここでも触れましたが、今までで国民の中で一番強烈な批判を巻き起こした賄賂問題です。中小企業という身近な経済は、どんなエレガントな理論よりも汚職の悪質性を明白にしてくれました。しかしそれでも不信任案は国会で却下されます。それだけ強烈な土台があるにもかかわらずフレルスフ内閣を解散できなかった背景には、それよりも力強い何かがある証拠です。それは何でしょうか。

1990年の民主運動を機に民主主義と市場経済への移行を続けてきたモンゴル。一人当たりGDPが400ドル当たりから4000ドル台まで拡大するなど、少なくとも数字上大きく進展しました。90年の初頭からモンゴルの社会を観察してきた世界銀行のジェームス・アンデルソン氏が、「何もない、から何でもある」社会になったと書いたとおりです。しかし、国際標準何倍の空気汚染や世界首位を占める各種ガンの普及など、深刻な経済・社会問題に悩まされるようにもなりました。

このようなボリュームと中身の相違は、様々な要因によって生じているのが周知のとおりです。ここで無理してまとめると、1、国有企業の民営化、2、地下資源の運営、3、予算浪費によるところが大きいといえます。

モンゴルは旧社会主義諸国の中でどちらかというと斬新派と違ってショック療法を採用しました。ショック療法の詳細はここでも詳述されていますが、急速な構造改革には価格と貿易の自由化、為替変動レートの導入、銀行制度の改革等が含まれました。当時、貿易と予算の双子赤字を克服するためにIMFから条件付き資金を借り入れたものですが、一千万ドルを借りるためのコンディショナリティにバス代を2倍にする条件まで指導されたのが主権国家として興味深い歴史です。そこまで内政への介入が許された時代において、お金がほしいなら急遽実行しないといけなかったのが大衆民営化です。これも経済学的に大胆かつ機械学的過ぎて面白い実験となった措置ですが、国民に投資権のある有価証券を配布し、一連の投資手続きを踏んで国有資産・国営企業の株主になってもらうという落ちです。投資や株式について知識がない田舎のお婆ちゃんは(社会主義経済には私産がないのでこれらがないです)、よく燃える質のいい紙だと喜び火をつくったという笑い話もありますが、総資産の半分を民営化した1994年になって初の証券市場法が成立したりした上下逆様の時代が過ぎ去ります。

日本やヨーロッパと違ってモノ作りの伝統、何世紀にわたって育ってきた産業と企業がなかったモンゴルにとって、20世紀に作り上げた国有資産がこのような形で民営化されたことは、その後の経済構成の底をなすことになります。ソ連圏の経済統合が崩壊していった影響があったといえども、国有工場の崩壊が失業率、それに伴う深刻な社会問題にも絡んでいきます。現役の大統領バトトルガ氏は元国有工場MakhImpex, TalkhChiher社、バヤンゴルホテルを、元総理大臣バトボルド氏の場合、チンギス・ハンホテルを所有しているといったように現在影響力のある政治家や資産家の多くは、構造改革、国有資産の民営化によって有利な市場シェアを獲得できた人たちです。有利な立場を生かして次の資産や市場シェアを取得し、それによって得られた資産を生かして政治的な権力を手に入れ、その権力を生かして予算投資権へアクセスして入札に勝ち、そこから得られたお金を選挙でばら撒き、という連鎖です。それに、GDP150億ドルの経済とそれを管轄する国家に対して大きすぎる各種鉱山の運営権が加わります。

約28年にわたって続いたこのような格差政治経済が国民の心理に少なからず影響を及ぼしたと思われます。どんな国にとっても不可欠な富や政治権力を悪とみなす傾向があるのは、前述したように何世紀にわたる努力の産物というポジティブよりは不公正な資産取得や賄賂などのネガティブに関係するところが多くあったからかもしれません。国民は、資産や資産家を嫌うようになり、それにその怒りと不満を利用する政治も重なり、モンゴルの社会は経済的にだけではなくて精神的にも二極化した社会になってきています。

中小企業促進基金騒動(JDU)は、その心理の痛いところに矢を放ったわけですが、それを利用した不信任案提出に踏み切った議長派に対する怒りのほうが奥深かった。JDU基金から10億トグルッグを借り入れた政治家も憎いけど、鉱山や銀行を所有している大資産家には政権を持たせたくない。結局、納税額でTOPを占めるMAK社のノムト議員ではなくて田舎から自力で出世したといえるオユンエルデネ議員が官房長官になりました。モンゴル初の80年代生まれの大臣です。彼の選任は、2017年の大統領選挙に続いて「資産家vs.国民」という架空な部分も含めた対立に「貧乏な国民」が勝つトレンドの延長戦です。

それで肝心な質問に戻ると、与党内対立がこんな形で落ち着いたことによって果たしてモンゴルの政治は安定するのか。というと、しないかもしれません。第1に、少なくとも短期的に2020年の総選挙まではフレルスフ内閣でやっていける可能性が高まりました。しかし、半々に分かれた与党にとって、大統領と野党民主党が片方と連携することによって、たとえば不信任案を再提出することが可能といったような脆弱なバランスには変わりがありません。予想し難い利害関係の衝突が続くものと思われます。第2に、正義を求める国民(彼等の味方を装う政治)と今までのレガシーを守りたい財閥、どちらも譲れない力関係はしばらく続くでしょう。制度改革や合理的な解決方法を好むよりは誰か犯人に罰を与えたい感情的な”貧乏な国民”の言いなりになる政治や政策が何をもたらすか、不安なところもあります。フランス革命、ロシア革命のように自国の歴史、パスに依存している諸問題を特定な社会グループのせいにした革命がさらに危険な状況を生み出した教訓もあります。

長期的には、民主主義を装った政治的恩顧主義のコンプレックスはそう簡単には解消されないでしょう。何千年という遊牧民としての生活、それに共産主義国としての過去。現在のモンゴル政治の不安定は短くとも100年の歴史が孕む諸問題が表面に出る過程とみることもできましょう。1000年、100年の歴史の産物としての社会は、100年をかけなくてもしばらくの時間をかけて自由主義や市場経済の原理原則を誤り、その誤りから教わって少しずつ成長していくものと思われます。